トビニタイ文化
トビニタイ文化の展示コーナーは、展示室では「擦文時代」と「オホーツク文化」の展示コーナーの中間にありますが、年代としては、オホーツク文化の後に続く、10~12世紀ころ、北海道東部に出現した文化です。この文化の代表的な遺跡である、羅臼町・トビニタイ遺跡にちなんで、このように呼ばれています。
この文化は、オホーツク文化と擦文文化との中間の特徴をもっており、2つの文化の接触の結果生まれたものと考えられています。
10~12世紀ころの北海道の文化
9世紀ころまでは、北海道の南部から中央部に擦文文化の人々、北部から東部のオホーツク海岸沿いにオホーツク文化の人々が暮らしていました。この状況は、10世紀ころ、擦文文化の人々がオホーツク海沿岸に進出したことから変化します。擦文文化との接触を受け、オホーツク文化の人々の暮らしが変わっていったのです。
【図 擦文土器の形でオホーツク土器の文様をもつトビニタイ土器】
2つの文化が接触した影響は、土器の特徴に大きく表れています。トビニタイ文化の人々が作った「トビニタイ土器」は、上の図にあるように、擦文土器・オホーツク土器の特徴をあわせもっているのです。
トビニタイ文化を残した人々は、基本的にはオホーツク文化の系統を引く人々と考えられています。ただ、擦文文化の住居からトビニタイ土器が発見されたり、その逆の場合もあったりと、2つの文化の人々は互いに入り混じって暮らしていたようです。やがて年月を経て、トビニタイ文化の人々の生活様式は擦文文化の人々と変わらないものとなり、同化していったと考えられています。