東北地方から持ち込まれた土器・須恵器(すえき)
擦文時代と同じころの本州では、作り方の異なる2種類の土器が作られていました。土師器(はじき)と須恵器(すえき)です。
土師器の製法は北海道にも伝わり、擦文土器が作られました。野焼きで作られるため、赤っぽい色をしています。
一方、須恵器は窯(かま)で焼き上げられた土器で、灰色に仕上がります。北海道では須恵器の製作は行われなかったため、たとえ破片でも須恵器が発見されると、本州方面との交流の証拠となります。常呂地域では、比較的状態の良い須恵器が2個体出土しており、このコーナーで展示しています。
須恵器の甕
青森県・五所川原(ごしょがわら)産と推定される、丸底・大形の甕です。表面がすじ状の模様で埋め尽くされていますが、これは土器を作るときについたものです。この種の土器は、「叩き板(たたきいた)」と呼ばれる、羽子板のような形の道具で、表面を叩きしめながら作られました。叩きしめることで粘土に含まれる空気が抜け、強度が増して大きな土器を作ることができます。叩き板には粘土が付かないように平行な溝が刻んであったことから、土器の表面にこのようなあとが付いています。
須恵器の長頸壷(ちょうけいこ)
壷形の土器で、こちらも青森県・五所川原産と推定されています。肩の部分に「井」の字が刻まれていますが、これは須恵器の製作者が目印に書いたものです。
この土器は「ろくろ」を使って作られています。底面に年輪のような模様が付いていますが、これは「ろくろ」を回転させながら、糸で粘土を切り離したときに付いたあとです。
これらの須恵器は、それだけを持ってきたのではなく、何かの容器として常呂地域まで運ばれてきたものではないかと考えられます。おそらくは、お酒など液体を入れたものでしょう。どちらも見た目は地味な土器ですが、遠く東北地方北部までつながる物流の存在を示す、貴重な証拠となっています。