7.続縄文時代の埋葬


 常呂川河口遺跡では縄文時代晩期から続縄文時代にかけての多くの土坑墓(どこうぼ)が発見されています。この時代には道具や装身具を一緒に墓に埋める風習がありました。このように墓に入れられたものを「副葬品(ふくそうひん)」といいます。続縄文時代には特に、大量の副葬品を伴う墓が数多くつくられるようになります。

 副葬品には土器や石鏃、石斧等の石器、呪術的な道具と考えられる異形石器、そして琥珀玉に代表される装身具がありました。副葬品は墓によって種類や量に差があり、特に琥珀玉は一部の墓に集中することから、特別な地位の人の持ち物であったと考えられます。中には数千個の琥珀玉が副葬された墓もありますが、これは同時期の北海道全体で見ても上位に位置する量であり、この地域に相当の有力者が存在したことを示すものです。

 常呂川河口遺跡の墓坑の出土品は、副葬品として質・量ともにすぐれた内容をもつことから、代表的なものが国の重要文化財に指定されています。


【図 続縄文時代の土坑墓】


【図 続縄文時代の土坑墓】

 上の写真は、発掘調査で見つかった土坑墓です。土坑墓とは、地面の土に掘りこんだ穴(土坑)に埋葬した墓のことです。この墓では、埋葬された人の遺体はほぼ土になってしまっていました。一緒に埋められた土器や石器が、ひとかたまりになって置かれているのが分かります。赤くなっているのは、ベンガラと呼ばれる赤い鉱物の粉で、縄文時代から続縄文時代の多くの墓で見つかるものです。墓の中に死者を送る際に、この真っ赤な粉をまく、という風習があったようです。