続縄文時代前半期の首飾り

 続縄文時代前半期(紀元前4世紀~紀元2世紀ころ)の特徴的な遺物に、琥珀(こはく)を使った首飾りがあります。こうした首飾りに使われた玉は、多くの場合、お墓の中から発見されており、個人の宝物として死者と一緒に埋められていたようです。首飾りはごく一部のお墓だけで見つかることから、誰でも平等に持っていたわけではなく、特別な地位の人だけの持ち物だったと考えられています。

 首飾りの素材となった琥珀は、サハリン産と推定されています。続縄文時代の北海道は、島の外の地域―特にサハリンなど北の地域と交流が盛んになった時代ですが、この首飾りはそのことを示す代表的な証拠品です。


 首飾りに使われた玉は、時期によって変化がありました。

 続縄文時代の初めころ(紀元前4~3世紀ころ)には、原石に穴をあけただけの琥珀玉が使われていました。

 その後、紀元前3~2世紀ころになると、平らな円盤状に加工し、中央に穴をあけた玉が使われるようになります。このタイプの玉は「平玉(ひらたま)」と呼ばれています。

 紀元1~2世紀ころになると、琥珀の平玉に、管玉(くだたま)を混ぜた首飾りが現れます。琥珀玉が北海道東部で多く見つかるものであるのに対し、管玉は北海道南部~本州以南を中心に見られるものでした。特に、下の写真左側の管玉は「碧玉(へきぎょく)」という緑色の石を使ったものです。碧玉は新潟県・佐渡島産と推定されるもので、オホーツク海沿岸地域の遺跡から出土するのは大変珍しいものです。

 北方の地域とのつながりを示す琥珀玉に対し、管玉は南方の地域の文化と結び付けられるものです。続縄文時代後半期になると、北海道東部では、北海道中・南部からの文化的影響が強くなっていきます。首飾りの変化には、こうした地域間の交流の変化が表れているのです