墓に埋納された玉・漆塗櫛(うるしぬりくし)
縄文時代晩期、約2500年前のお墓からの出土品です。玉は翡翠(ひすい)で作られたもので、勾玉2個と丸玉6個から成っています。こうした玉を作れる品質の翡翠は産地が限定されており、ここでは糸魚川(いといがわ:新潟県西部)産のものが使われていると考えられます。櫛は、歯の部分を含め、木質部分は朽ちて失われており、表面に塗られていた赤い漆の膜だけが残っています。ウルシの木は、基本的に北海道には自生していませんでしたので、漆製品は東北地方などで作られたものを入手した可能性が高いと考えられます。
このころになると、お墓の中に様々な品物を一緒に埋める(このことを副葬[ふくそう]といいます)習慣の行われた証拠が現れます。ただし、どのお墓にも同じように品物が入れられたわけではありません。このお墓の玉や漆塗りの櫛は、北海道東部では直接手に入れることのできないものであり、かなりの貴重品でした。おそらく、ムラの長老や指導者のような、特別な人の持ち物だったと考えられます。
翡翠は硬い石材で、加工には大変な労力が必要でした。基本的には砥石で磨いて作られますが、穴の部分だけはそうはいきません。一説によると、砂をかませた上で、細い竹の茎を回転させ、少しずつ穴を開けていったと推定されています。
このお墓の玉について、穴の部分をよく見ると、穴の片側(展示で上になっている面)が広く、反対側が狭くなっていることが分かります。このことから、石の片側から穴あけの加工を進めていったことが分かります。