4.縄文海進とトコロ貝塚


 氷期が終わり、約11,700年前から温暖化が始まりました。海面が上昇し、それまで陸だった場所の一部は海になりました。サロマ湖はこの海進でできた湾の名残で、その後の堆積作用で海から切り離されて湖になりました。

 この地域で最も温暖化が進みんだのは約6000年前で、海面が最も上昇し、現在より3~5m高くなったとされています。その後、温暖化がゆるみ、海面が現在とほぼ同じ高さに落ち着いたと推定されるのは約4500年前のことです。この時期は縄文時代中期の終わりにあたり、この地域でも人口が増加したと考えられる時期に当たります。ちょうどこの頃に形成された遺跡の1つが、「トコロ貝塚」です。貝塚では現在の北海道の海に生息しないハマグリも出土しています。当時の海は、まだ現在より少し暖かかったようです。

 貝塚は、現在では内陸の地点から発見されていますが、当時はまだ海とつながった湖に面した位置にありました。その後、この湖は常呂川が運ぶ土砂で埋め立てられ、常呂の平野になっていきます。このためトコロ貝塚の場所は、現在では海岸から約1.5km離れた内陸になっています。


展示の注目ポイント

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【図 サロマ湖周辺の地形変遷】


 上の図は現在のサロマ湖周辺の地形です。氷期の終りには、サロマ湖はまだ存在せず、陸地が広がっていました。温暖化による海面の上昇によって、この地形は大きく変化していきます。時代を追って見てみましょう。

 海面が上昇すると、河川が谷を刻んでいた場所が海になって、湾ができました。海面上昇が進んで、湾はだんだんと大きくなっていきます。

 海面上昇がおさまると、湾の出口には砂がたまり、少しずつ海から切り離されていきました。こうして4,500年前ころには、「一部が海とつながった湖」へと変化していきます。この湖は、海水と、川から流れ込む真水とが混じりあったものになります。当時の湖にはマガキやハマグリなどがすんでいました。トコロ貝塚はこの時期、湖のほとりに形成された遺跡です。

 3つの湖のうち、西側の湖は最も早く海から切り離されてしまったようです。このため、西側の湖が増水して真ん中の湖へと流れ込み、2つの湖がつながりました。一方、東側の湖は川からの土砂でだんだんと埋め立てられ、陸地になっていきました。