8.擦文時代
この時代は7世紀頃、本州からの影響を受けて住居の構造や土器の作り方が変化したことにより始まり、12世紀頃まで続きました。この時代区分は、生活や文化の変化に基づくもので、擦文時代の人々は、基本的に続縄文時代の人々の子孫と考えられます。
この時代には本州の住居の造り方が伝わり、正方形でかまどを備えた竪穴住居が建てられました。土器は縄文が完全になくなり、かわって表面に木のヘラで擦った痕がついたものになりました。「擦文土器(さつもんどき)」と呼ばれる土器で、「擦文時代」という時代名称もこれに由来します。石器は使われなくなり、主に本州から持ち込まれた鉄製品が使われるようになりました。また、この頃には北海道でも雑穀農耕が行われるようになりましたが、オホーツク海沿岸では漁労が生活の中心でした。
アイヌの人々は、この擦文時代の人々の子孫と考えられます。ただし、オホーツク海沿岸地域では、北方から来た異民族である「オホーツク文化」の人々の影響も受けたようです。この「オホーツク文化」については、次のコーナーで紹介します。