貝塚を残した人々の食料

 トコロ貝塚は、約4500年前、縄文時代中期終り頃の「ゴミ捨て場」の遺跡です。食料にした動物の殻や骨などが積もったもので、特に貝殻が多いことから「貝塚」と呼ばれています。

 展示では、貝塚で見つかった貝殻、魚や陸上動物の骨を種類別に展示しています。しかし、現地へ行ってみると分かるのですが、トコロ貝塚の貝層は、ほとんどがマガキの貝殻でできています。

 貝塚を構成する貝殻・動物骨等の割合を調べるため、貝塚の1区画を発掘して内容を調べたサンプル調査では、数量的には95%近くがマガキだったという結果が得られています。これだけ見ると、当時の人々がほとんどマガキばかり食べていたように思えますが、そうとも言い切れません。貝・魚・哺乳類の種類によって、肉の量が異なることも考慮する必要があります。

 そこで、1匹あたりの栄養をカロリーに換算した研究があります(※1)。その結果を示したのが次のグラフです。

 カロリー換算では、マガキなどの貝類の割合は約半分ということになりました。残りの半分は哺乳類や魚類から成っています。なお、貝塚の資料から分かるのは、硬い殻や骨が残るようなものだけです。この他に木の実などの植物も食料にしていたものと考えられますが、資料としては残っていません。こうした、証拠としては残っていない食料資源もあったとすれば、貝に偏りすぎない、もう少しバランスの良い食事だった可能性が考えられます。しかし、いずれにしても、貝や魚など、海産物が当時の人々の生活を支える重要な食料資源だったことは間違いありません。

 ちなみに、現在の常呂はホタテガイが名産ですが、貝塚から見つかっているのはごくわずかです。マガキのように海岸付近でもたくさん取れるものではないため、あまり食べられていなかったようです。

【参考文献】
 ※1 新見倫子 1990「縄文時代の北海道における海獣狩猟」『東京大学文学部考古学研究室研究紀要』9