銅銭とガラス玉
アイヌの人々は、基本的には物々交換で交易をしていました。「お金」を使わない文化だったわけですが、アイヌ文化の遺跡からは少数のお金が見つかることがあります。
展示されている「元豊通宝(げんぽうつうほう)」は中国の北宋が発行したお金で、作られたのは11世紀です。日本にも大量に輸入され、製造から数百年たった後も使われていたため、発行よりずっと新しい時代の遺跡から見つかることもあります。ちなみに、小さい方が一文銭、大きい方は二文銭です。アイヌ文化では、こうしたお金は、本来の「お金」として使われたわけではなかったようです。お金は北海道外から入手された貴重品であり、宝物の一種として扱われていました。このため、同じく交易で持ち込まれた貴重品であるガラス玉と一緒に連ねて、首飾りに使われている場合が多くあります。
写真は、アイヌ語で「タマサイ」と呼ばれる、ガラス玉を連ねた首飾り(※実物は「ところ埋蔵文化財センター」で展示中)です。この首飾りにもガラス玉に混じってお金が連ねられています。この首飾りでは「寛永通宝」(銅銭)と「函館通宝」(鉄銭)が使われています。函館通宝は幕末の1857~58年に函館で作られたお金です。