オホーツク土器
オホーツク文化では、同じ時期の北海道で作られていた擦文(さつもん)土器とは異なる特徴をもった「オホーツク土器」が作られていました。オホーツク土器は、大小にかかわらず、口の広い壺形をしています。色調は黒っぽい色で、擦文土器(赤っぽい色をしています)よりも低い温度で焼き上げられたことを示しています。展示のオホーツク土器には赤っぽい色のものもありますが、これは竪穴住居の火災で焼けて、本来の色から変色したものです。
オホーツク文化にも数世紀にわたる歴史があるため、その文化にも少しずつ変化がありました。
オホーツク文化が宗谷海峡周辺に出現したのは5世紀ころのことですが、常呂周辺にオホーツク文化の遺跡が現れるのは7世紀ころになってからです。このころのオホーツク土器は、棒状の工具で刻み込んだ線状の文様(これを「沈線文(ちんせんもん)」といいます)が中心の、比較的シンプルなデザインの土器です。
8~9世紀になると、オホーツク土器の文様は大きく変化し、細長い粘土紐を貼り付けた文様が多く使われます。この粘土紐が素麺(そうめん)を思わせる太さであることから、「ソーメン状貼付文」という呼び方をされることもあります。中には、何本もの粘土紐を複雑に配置したものや、鳥や動物をかたどった文様など、面白みのある華やかなデザインの土器も見られるようになります。